2年ほど前、突然母が腰の痛みを訴えるようになってから、私の生活は大きく変化しました。
結果的に、骨粗鬆症が原因で背骨の一部が潰れてしまうという症状であったわけですが、今回はそんな母と過ごしたここ2年くらいの間の出来事や自分の心境の変化について振り返ってみようと思います。
同じような悩みや問題を抱えている方も少なくないかと思いますので、共感していただけたり参考にしていただけたら嬉しいです。
ぎっくり腰?が治らない
ことの始まりはとある冬の日、母から突然届いたメール。
「ホームベーカリーを持ち上げようとしたらぎっくり腰をやってしまった」
このメールを受け取ったときは驚きはしたものの、私ももともと腰痛持ちだし、職場にもたびたびぎっくり腰になってしまうおじさん達もいましたので、まあしばらく安静にしていれば大丈夫だろう、と思っていました。母もおそらく同じように考えていたと思います。
市販の湿布やコルセットを使いながらしばらく安静にしていると、少しずつ症状は軽減されていって元通りの生活を送ることができるようになりました。
半年後、母は再び腰の痛みを訴え始めました。
今回は特に重い物を持ち上げたわけでもなく、日常のふとした瞬間に激痛が走り、前回と同じようにしばらく安静にする日々を送っていました。
しかし今回はなかなか症状が改善しません。
腰痛持ちの私がたまに通っていた整骨院に連れて行き、鍼灸マッサージやストレッチを受けたりもしましたが、効果はいまひとつ。
さすがに一度ちゃんと診てもらった方が良さそうだね、ということで整形外科に行き、検査を受けたところ想定外の病気が見つかりました。
骨粗鬆症、腰椎圧迫骨折
血液検査とレントゲン撮影の結果、母は骨密度が著しく低下し、背骨のいくつかが潰れてしまっていることが発覚しました。
骨粗鬆症は閉経後の女性がなりやすいというのは何となく聞いたことがありましたが、実際に骨が潰れてしまっている自分の母のレントゲンを目の当たりにしたときはなかなかにショックが大きかったです。もちろん母はもっとショックを受けていたと思いますが…。
治療の方法として、手術をするという選択肢もありましたが、母の意見を尊重し、強固なコルセットを着用しながら骨密度を上げる注射で治療をしていくことになりました。
日に日に弱っていく両親
カルシウムとビタミンDの錠剤を摂取しつつ、月に1度骨密度を上げる注射を打ちに病院に通う母の生活が始まりました。
腰の痛みは依然として強く、半分寝たきりのような状態になってしまっている母。
仕事に関しては父が自営業をやっていて、母はそのお手伝いをしている形でしたので家計へのダメージはそこまで大きくなかったものの、これまで家事のほぼすべてを担当していた母が動けなくなってしまったため、父の生活も大きく変化してしまいます。
私も仕事の合間を縫ってなるべく通院などのサポートができるようにしていましたが、病気が発覚してから明らかに精神的に参ってしまっている母と、そんな母に時折苛立ちを隠せなくなってしまっている父を見て、私は一人暮らしのアパートを引き払って実家に帰る決断をしました。
終わりの見えない戦いの始まり
再び両親と一緒に暮らすようになって感じたのは、「二人とも歳をとったなあ」ということです。
定期的に顔を合わせてはいたものの、一緒に生活をしているとやはり若かったころとは違うな、と感じる部分が多かったです。
昔と比べて明らかに少食になり、病気の影響もあり腰も曲がり始めている母。高血圧の薬や老眼鏡が手放せない父。
日常のあらゆる些細な出来事が「親もそう遠くない未来に確実に死ぬんだな」という当たり前のようで当たり前ではないような現実を容赦なく突き付けてきます。
この頃少しナイーブになっていた私ですが、これまで迷惑ばかりかけてろくに親孝行もできていなかったこともあり、両親の生活をちゃんとサポートすることで恩返しをしよう、と決意します。
私は調理師の仕事をしているので、まず一番にできることと言えば食事の用意。キッチン周りの仕事はすべて私が引き受けることにしました。
仕事に行く前に母の朝食、昼食の準備をし、仕事から帰ってきたら買い出しや夕食の準備、そして洗い物などなど。
決して楽ではありませんでしたが、両親のことを思えば苦にはなりませんでした。
そんな私を見て、今まで家事を母に任せきりだった父も家事を少しずつやってくれるように。家族3人の力を合わせた、母の療養生活が始まりました。
しかし1年経ってもなかなか思うように腰の痛みは改善せず、骨密度の数値も芳しくない様子。
家の中で、「この生活はいつまで続くんだろう」というような空気が流れていました。
もちろん一番不安だったのは母親自身であることは間違いないのですが。
腰痛が治っても、元には戻らない日常
さらに半年ほど時間が経過すると、少しずつ母の腰の痛みは和らいできました…が、長かった療養生活のせいか足腰の筋肉や体力の低下、そして何よりも気力が低下してしまい、何かをしたい、どこかへ出かけたい、という気持ちがなくなってしまっている母。
もともとそこまでアクティブな人ではありませんでしたが、料理や芸術鑑賞などが趣味で、よく美味しい物を食べにいったり美術館に行ったりするのが好きだった母。
そんな母を外食に誘っても「家でいいよ」「デリバリーでいいよ」。
美術館に連れて行ってもすべて見て回ることができず、早々に「疲れたからもう帰ろう」。
腰の痛みが治ってきても、腰以外の要素へのダメージが思った以上に大きかったということに気づかされる日々でした。
さらなる追い打ち、救急車に運ばれる母
少しずつ動けるようになってきた母ですが、ある日突然救急車に運ばれ入院してしまいます。
仕事中に突然病院から電話があり「心筋梗塞の疑いがあるので緊急でカテーテル検査をします」とのこと。
仕事を抜けさせてもらい慌てて病院まで飛んでいきましたが、幸い心筋梗塞ではなく病名は「たこつぼ心筋症」。通常は災害などで甚大なストレスを感じたときに発症しやすい病気のようですが、母は特に自覚もなく、結局はっきりとした原因はわからずじまいでした。
10日ほどで退院することができましたが、「再発したらどうしよう」という不安もあり、母はまた精神的に弱ってしまいます。
セミ介護生活?どこまでサポートするべきか
残念ながら「今ではすっかり治って元気になりました!」というハッピーエンドではなく、こんな私と母の生活は今日も同じように続いています。
介護、というほど大げさなものでもありませんが、母はこの先の人生、何かしらのサポートがないと日常生活を送ることが困難であるのは事実です。
そんな中で、自分の中で少しずつ母へのサポートに対する考えが変わりつつあります。
以前は全力でサポートしたい、できることは何でもやってあげるのが親孝行だ!と思っていたのですが…
食事の用意に関しては、少しずつではありますが母にできることはやってもらうようにしました。
もともと料理が趣味だった母なので、できることまで私がすべてやってしまうのはよろしくないな、と気づいたからでもあります。なんでもかんでもやってあげてしまうのはその人の生きがいや気力を奪ってしまうことになりかねません。
料理というのは手を動かし、頭で献立や手順を考えながらする必要があるので、認知症予防にもなりそうだな、というのもあります。身体は弱ってしまっているので、せめて認知症だけでも防げれば、と考えています。
最近は月に数回は外食に連れていくようにもなりました。最初は乗り気ではなかった母ですが、最近はラーメン屋、蕎麦屋巡りをしており、明らかに食が細くなってきていた母ですがなかなか楽しんでもらえているようです。
こんな生活にどんな正しいゴールというものが存在するのかはわかりません。
おそらくそう遠くない未来に、もっと本格的な介護生活が待ち受けていると思います。
それでも私は、母の生きがいを最大限に尊重しながら、無理をし過ぎない範囲でサポートしていきたいな、と思っています。自分が無理をして倒れてしまったら元も子もないですからね。
ほど良い距離感を保ちつつ、自分と、母にとって後悔のないゴールを迎えられたらいいですね。